好きな物を見てモチベーションを上げる作戦①
元気出すために理想の縁側画像探してみた。
庭を眺めなながらタバコ吸うんだー。
あー素敵だなー。
ちょっと古めの感じが堪らんよねえ。
縁側萌えー。
【妊娠28w】マタニティブルー
どうも今日は調子がよくない。
また出産後のことを考えて勝手に不安なってる。
旦那と二人きりの幸せと、家族四人になったときの幸せとを天秤に掛けてゆらゆらさせている感覚。
妊娠するのは早かったんじゃないか?
間違っていたんじゃないか?
とすら考えてしまう。
だからどうこうできるわけでもないのに。
これはきっと、マタニティブルーというやつだ。
きっと誰だって初産の人は同じように不安なんだと思う。
私なんかに立派に人間を育てられるのか?
なんて考え始めたらキリがない程不安になる。
だから先のことは考えないようにしてたのに、結局ふと考えてしまう。
週数が進む毎に、楽しみな気持ちと不安な気持ちが押し寄せてくる。
正直、正常な反応だと思う。
この気持ちの揺れをコントロール出来れば。
以前書いたこの記事は、嘘じゃない。
四人家族での理想の生活。
http://byun08.hatenablog.com/entry/2018/05/17/122438
ここまで辿り着くにはどうしたらいいんだろう。
未知の世界が目の前に広がっていて、怖くて足がすくむ。
いずれ、どんな環境になっても私は幸せになりたいし、くろさんを幸せにしたいから、後悔なんかせずに毎日を送りたい。
きっと、大変なことも沢山あるだろうけど、楽しいことや嬉しいことも沢山待ってる。
未知の未来って、そういうものだと思う。
私は一人じゃない。
前向きに考えよう。
あ、だからね。
旦那さんの立場の人には奥さんの話いっぱい聞いてあげてほしいなと思う。
絶対一人にさせないでほしい。
不安で不安で仕方ないから。
育児は奥さん一人がやるものじゃないからね。
妊娠中から二人で共有して、協力していってほしいです。
ギャンブル依存の負の遺産
私は自分の幸せに対する価値観と金銭感覚を信じていない。
これはギャンブル依存になってからのことだ。
ギャンブルは人の幸せを感じる閾値を上げる。パチンコやスロットの激しい演出や刺激に慣れてしまうからだ。
美味しいごはんを食べられて幸せ、温かい布団でぐっすり眠れて幸せ、家族と共に居られて幸せ。
そういう日常的な幸福に反応できなくなってくる。
そして言わずもがな金銭感覚を狂わせる。
1万円が本当にものの30分で溶けていくのを、何とも思わなくなる。
そして、買い物をすることに抵抗感を覚えるようになるのだ。
「これを買ってお金を減らすくらいなら、パチンコをした方が増える可能性があって有益なんじゃないか?」
増える保証なんてないのにそう考え始める。
全くもって正常じゃない。
だから私は私を信じられない。
しかしだからこそ追求したい。
幸せの感じ方、幸せになるためのお金の使い方を。
借金は債務整理で無くなったけれど、こういった負の遺産はすぐには消えない。
だから私は人より努力して幸せについて学ばなければいけないし、学ぶべきだと思っている。
幸福度の高い人は、幸せに対する閾値が低いと聞いたことがある。
些細なことでも丁寧に汲み取って幸せを感じる。
私もそんな人間になりたいのだ。
きっと私が幸せでいることで、喜んで、または一緒に幸せになってくれる人がいるから。
なのでこれからも幸せについて考えて、発信していきたいと思います。
誰もが幸せになりますように、と祈って。
私の幸せの発端
https://twitter.com/hedonismtherapy/status/1004124576706527233?s=19
このブログを始めたとき、私は人生のどん底にいて、「幸せ」なんてまるで月や星を掴むくらい遠かった。
でも3食ちゃんと食べることができていたし、安心して眠れる清潔な布団があった。
父も母も温かかった。
しかしそれでもどん底は変わらない。
依存していたセフレとは離ればなれ、ギャンブル依存は治らず、借金が残っていた。
人生の終わりを感じていた。
このとき、本当は気づけたらよかったんだと思う。
衣食住が確保されている安心感に。
借金まで作って迷惑をかけた父母がそれでも見捨てないでくれたことに。
今更だから思うことなんだろうけど、その当時の私はただ底無し沼の底だけを眺めていたから全く気付かなかった。
ただ、幸せになりたかった。
幸せを「感じられる」のは余裕があるときだ。
余裕なんてなかったから、ただただ幸せを願った。
ブログを書き始めた当初、沢山の変化を心掛けた。
何事も形から入るタイプだったのが、幸いしたのかもしれない。
髪型を変え、行動力をつけ、今の旦那に告白した。
結果、状況はがらりと変わった。
私は大切な人を見つけたのだ。
それだけで、私の心は花が咲いたようだった。
寂しさが紛れた。
遠距離だったけど、毎日電話で声が聞けたし、休日は一緒に遊びに出掛けた。
楽しかった。
まだまだ解決できていない問題は沢山あったけれど、理解者が出来たのは幸せでしかなかった。
何がその当時の私を幸せにしてくれたのか。
発端はやはり「行動力」だと思う。
見せかけでいい。
嘘っぱちでいい。
ただ、行動する。環境や外見を変えてみる。
それがきっかけになってくれたのだと思う。
立ち竦んでいては何も変わらない。
変えようと思って変わらなくちゃ。
だから、幸せは掴みに行くものなのだと思う。
待っていても、何も変わらない。
不幸せだったときから幸せになる方法を導いてみる
幸せになりたいブログなのに主旨を忘れて横道にばかり逸れていたので、ちょっと初心に帰ってみる。
というかまず幸せじゃなかった時期を並べてみる。
・元カレと別れたとき
・セフレと2年間同棲してたとき
・ギャンブルをして借金をしていたとき
あえて、精神疾患のことを抜かせばこんな感じ。
客観的に見ると、「恋愛依存」と「ギャンブル依存」が私を不幸にしていたのだと分かる。
主治医は言っていた。
「依存先は多い方がいい。友達、家族、趣味とか。頼れるものや夢中になれることが多い方がストレスが分散される」
私は良くない意味で一途なもので、依存先が少ない。
彼氏がいれば彼氏にべったりだし、あることに夢中になれば、そればかりやっている。
まさにそれが不幸になる原因なのかもしれないと推測できる。
今はどうだろう。
・相変わらず旦那にはべったりだけど、今のところ喜んで受けとめてくれるから問題ない。
・入院中だからギャンブルもしていない。
・ハマっていることは特にないけど、あえて言うならブログとTwitter。
結果、わりと不幸せではない。
旦那とずっと一緒にいられないことや、タバコを吸えないことなどを抜かせば結構幸せなくらいだ。
つまりそういうことなのだろう。
私は依存先を増やせば幸せになれる!
何だか簡単に答えが出てしまったが、今のところはそんな感じで考えておこうと思う。
この先どうなるか分からないけど。
よって、何かに依存しやすい気質のある人は是非気を付けてみて下さい。
それが無くなるだけでメンタル軽くなるかも。
「文章を書くのが好き」の意味
私は文章を書くのが好きだ。
と、思っていた。
だから、物書きになりたかったし、最近流行りのライターにもなりたいと思った。
しかし、考えてみたのだ。
所謂、自問自答だ。
本当に、「文章を書くのが好き」なのか。
恐らく答えはノーだ。
私はライターのように、他人に決められた題で文章を書くことは出来ない。
だってそんなのつまらない。
書きたいことを書かなきゃ意味がない。
だから単に「自分の思考を表現し、伝えること」が好きなのだ。
そして表現の仕方はわりとどうでもよくて、写真も好きだし、絵を描くことも好きだったりする。
ただ、自分の溢れ出んばかりの気持ちや考えを表現出来れば、または伝えることが出来れば、形はなんでもいいのだ。
こだわりがないというか、適当だ。
だから、ブログやTwitterは自分勝手に表現することが出来て楽しいのだと思う。
こんな楽しいことが仕事になればなあ、なんて甘ちゃんなことを考えたりもするが、そんな都合のいい話があるわけない。
というか、「文章を書くのが好き」と言う大概の人は、同じような感じなのではないか、とも思っている。
伝えたいことがあるから書きたくなるし、なければ別に書く必要もないだろうし。
発信したくて、主張したくて、文章で、絵で、写真で、表現する。
考えに考えた末、楽しいと思って続けているうちが華だなあと思った私だった。
今日は旅人
何だかふと立ち止まることがあるのです。
立ち止まって、今歩いている道は本当に正しいのか確認したくなるときがあるのです。
誰かに知恵やアドバイスをもらいたくなるときがあるのです。
ネットでがむしゃらに何かを調べたくなるのです。
私は何かの答えを見つけたくなるのです。
何の答えなのか、果たして本当に正しい道を歩いているかどうかの解答が欲しいのか、自分でもよく分からないのだけれど、それでも何かを探したくて、見つけたくて、どうにも歯痒くなったりする。
そんなときも、時にはあったりするのです。
だから今日は、何かを探す旅をする、旅人になるのです。
この旅に答えはなくても、意味はありますようにと、願いながら。