ひたすら幸せになりたい系女子

ひとりごとをぼそぼそ呟く雑記ブログ

永遠と無償の愛

私が考える結婚の一番のメリットは、もう失恋しなくていいんだ、っていう安心感を得られることだと思う。

失恋って精神的ダメージが大きいじゃないですか。

私今まで付き合ってきた人の数なんて片手で足りる位しかいないけど、一人一人がわりと長くて、別れの度に辛くて死にそうになってた。

 

だから、書面上でも愛を誓って、一生この人と添い遂げていくんだと思ったら嬉しくて仕方なかった。

「永遠」なんて絶対なくて、「無償の愛」なんてものも信じていなかったけど、くろさんといるとそんなものものすら信じられる。

勿論、事情があって離婚してしまう人達がいるのも知ってる。

でもまだ希望を持っていたいし、持っていられるんだ。

 

きっと、くろさんは私を裏切らない。

だから、私も裏切ったりしない。

二人で幸せになるんだ。

二人で歳を重ねて、お爺ちゃんお婆ちゃんになって、お手々繋いで散歩するんだ。

あとは一緒のお墓に入って、一緒に眠る。

 

みんなみんな、結婚当初はこんな風に思っていたんだろうなって思う。

私たちは結婚式をしてないけれど、挙げた人は他の大勢の人の前でも愛を誓うよね。

誰しも希望を持って結婚したんだよね。

二人で幸せになることを夢見たんだよね。

その気持ちを忘れたくないなあって思う。

忘れてほしくないなあって思う。

 

そう、大事なことは忘れちゃいけないんだ。

パートナーを愛していること。愛されていること。

大切に思っていること。大切に思われていること。

死ぬまで一緒だよ、って誓い合ったこと。

 

誰かと共に生きる喜びや尊さを、噛み締めながら生きていかなきゃね。

 

 

 

より悲しみを深くしたくて聞く曲

気分が落ちて落ちて仕方ないときに頭の中に流れる曲がある。

鬼束ちひろさんの「月光」と「流星群」だ。

 

得に「月光」は、抜群に効く。

神様はどうしてこんな残酷な世界に私一人産み堕としたんだろう?ってずっと思っていて、まさに思春期時代から神様を憎んでいて、初めて聞いたときには、こんな世界で生きたくないって気持ちを代弁してくれてるような曲だと思った。

ちなみに今は神様なんて信じていなかったりする。

でも孤独感を感じたときに「ああやっぱり私は一人なんだ」って思い込んで悲しくなりたくて聞いたりする。

心が落ち込んで塞ぎこんだときって、励ましてくれるような言葉じゃなくて、共感して一緒に悲しみに暮れてくれるような言葉が聞きやすかったりするんだよね。

悲しいときは、心が「悲しくなりたい。泣きたい。休みたい」ってヘルプサインでも出してるような感じがする。

だからそういう曲に惹かれるんだろうなと思う。

 

「流星群」は恋愛事で悩んだときによく思い出してた。

「あなたに触れない私なら、無いのと同じだから」

という歌詞に共感した。

隣に寝ていても、抱き締められないならいないのと同じ。

一緒に居るから寂しくない、は嘘だと気付いたとき、私は少し大人になった。

そんなときってどうすればいいんだろうね。

離れればいいのかな。

いまだに答えは出せないでいる。

 

 

ふと思い出して、何となく書いてみました。

鬼束ちひろさんの曲は響く。

大好きです。

メジャーなのしか知らないけれども。笑

 

 

 

「色気」を感じさせる方法考察

自覚していることがある。

私には、色気がない。

ない。ないのだ。どう考えてもない。

全くもって見つからない。

 

だからくろさんと考えた。

まず、色気って何だろう?と。

 

結果、「色気=対象でエロいことを考えて背徳感を感じること」だという結論に至った。

 

例えば私は志田未来ちゃんに色気を感じる。

何故かと言うと、そういう行為を嫌がられそうだからだ。

簡単には受け入れてくれなそう、それが色気に繋がってる気がする。

(↑は完全なる勝手な妄想です)

 

あとは、セーラー服や白衣、スーツなんかに色気を感じるのもそういう原理なのではないかと考える。

性的なことを考えてはいけないものだからこそ、逆に色気を感じる。

背徳感が頭をよぎる。

そんな感じ。

 

そうなのだ、私に色気がないのはつまりそういうことなのだ。

女性は少しばかり、「いやいや」や「恥ずかしい」をうまく使うくらいが色気が出ていい。

全てをほいほい受け入れてはいけない気がする。

 

よって、背徳感を煽ることが、相手に色気を感じさせる方法ではないか、ということをここに提案します。

以上、色気の考察でした。

 

 

メンタル系ブロガー(仮)の感謝の気持ち

周りのメンタル系ブロガーさんのブログやTwitterを見ていると、自分の病気に対する膨大な量の情報や分析などが書かれていて、すごく参考になったりする。

 

私も一応メンタル系ブロガーの端くれのつもりなのだけれど、ざっと見て頂ければ分かる通り、有益な情報なんて書いちゃいない。

 

というか、書けない。

 

正直に申しますと、かかりつけの医師からの情報以外あまりその、病気や薬についての情報を仕入れておりません。

いやね、「うつを治す」的な本とか、精神薬辞典みたいなのは買ったんだよ?

買ったんだけど、うつの急性期って集中力がないからそんな字数の多い本なんか読めないんだよね。

で、そのまま本棚にそっとしまってあるわけです。

よって私はほんとにそれ系の勉強をしておりません。だからあーだこーだと滅多なことは書きません。

唯一、かかりつけの医師がしてくれるお話の中で為になったことを書いています。

メンタル系ブロガー(仮)くらいの感じです。

お役に立てずすみません。

 

でも、自分が経験して学んだことくらいは書きたくてブログを書いてます。

あとは、普通に好きなこととか、影響を受けたこととか、書きたいことを書き散らしてます。

自分が楽しければいいやのスタンスです。

ほんとにただの日記です。

 

こんな私でも、もしメンタル系の話でご質問頂ければ、経験上の範囲内で答えますので、何か気になることがありましたらお気軽にコメントや、TwitterのDM下さい。

答えられる範囲でしかお答え出来ませんが、返信は必ず致します。

メンタル系に限らず、ギャンブル依存、債務整理、仕事についてや結婚・妊娠、何でも答えます。ただし、参考になるかの保証はできませんので、、、すみません。

 

折角ブログという場で出会った以上は、何かしらの交流を図れたらという思いがあり、このような記事を書きました。

もし興味があってブログを読んで下さっている方がいらっしゃいましたら、今後もどうぞよろしくお願いします。

いつもスターを付けて下さっている方、すごく励みになります。ありがとうございます。

 

何の情報も得られないブログかもしれませんが、読んで下さっている方がいることがとても嬉しいです。

今後も今まで通り肩の力を抜きつつぽろぽろ書いていくので、よろしくお願いします。

 

 

アラサー女子の見る夢は

私もすでにアラサーの域にいる女である。

10代の子を見れば「ちやほやされるのは今だけだぞ☆」と思ったりするお年頃である。

 

これでも20代前半の頃は、飲み屋通りを歩けばキャッチやキャバクラのママに声を掛けられたり、ナンパなんかもされたりしてたんだけどなあ、と懐かしむだけ懐かしんでは、現状に首を傾げる。

心の中だけはあの頃とあまり変わらないのだけど。

時の流れというのは残酷である。

外見的な老化だけは止める術もない。

 

しかし残念ながら、私はいまだに夢見る夢子ちゃんのままでいて、ある時は魔法少女になりたくて、ある時はカードキャプターになりたくて、最近ではロリババアというジャンルのキャラクターを夢見ている始末なのだ。

ロリババアが出てくる代表作といったら富樫作品が有名であるが、まさにそんな感じを理想としているわけである。

ババアでいい、可愛くてどこか魅力的であれば。

美魔女とかそんな大層なものじゃなくていい。

私はロリババアになりたい。

ここ最近の願いである。

 

女子はいつまで経っても、いくつになっても「女子」である。

可愛いものが好きで、可愛くありたくて、可愛いねって言ってもらいたいものである。

心には乙女がいて、主食は砂糖菓子なのだ。

 

だがらこそ、女子たるものいつまでも努力を惜しまず、女子を守り続けるのである。

だから男子諸君には是非覚えていてほしい。

 

「可愛い」は正義、であると。

 

 

 

 

 

弱メンタルはストレッサーから遠ざかれ

昨晩の母との会話で、考えや目標の違いを自覚したことにより、本日大変モヤモヤしていためろです。

精神科の先生からは、「入院中はずっと一緒にいるわけじゃないし、距離を取ることもできるから、体調によってうまく距離をとった方がいいですよ」とアドバイスされた。

調子が悪いときは、ストレッサーを避けることが基本なのに忘れてたなあと思った。

大事なんですよね、これが。

苦手なもの、こと、人を遠ざけるのはメンタル弱い私のような人間には超大切な心掛けなのです。立ち向かっちゃダメなんだ。

逃げなきゃ。

 

 

そして絶好調に不貞腐れていた私は思ったのでした。

里帰り育児しなくてよくない?と。

いやいやいや、一人ならともかく双子だし、育児の経験もないし、無理なのは重々分かってはいるんですけどね。

実家は甘えやすいけど、喧嘩もしやすいという精神衛生上よくない点もありまして、まして母が初孫に張り切り過ぎていて、まるで自分のこどもが出来たような感じでいるんです。

それが正直ありがたくもあり、余計なお世話でもあり。

私の言葉遣いを治した方がいいとか、禁煙した方がいいとか、今言われてもどうすりゃいいの?ってことを言われたもので、ちょっと憂うつになっていて。

今は今のことしか考えてないのに、そんな先のこと言われても困るんですよね。

私は無事に入院生活を過ごして、元気な子を産むのが目標なのに、それを当たり前のことと無視されて、育児の話をされても困る。非常に。

私は私で頑張っているのに。

勝手に色々決めないでほしいわけです。

 

まあ、大分落ち着いてきたからこんな愚痴をボロボロ溢しているわけですが。

ほんとこの温度差どうにかしないとなあ。

一人で育てられるならそうしたいけど、そうもいかんしなあ。

 

とりあえずのところ、母と育児の話はしないようにします。

自分を守るために。

あとはくろさんに愚痴ろう。

 

そんなものだよね、と妥協する朝

楽しい未来を思い描いて楽しみはするけど、現実は直視できない。

そんなめんどくささを誰が理解してくれるというのか。

そんなものを親に求めたって無理がある。

ようは気紛れなんだ。

気分にムラがあるんだ。

超めんどくさい人間なんだ。

 

だから分かってほしいと思う反面、分からなくていいからほっておいてとも思う。

振り回していると思うし、振り回されてもいる。

 

 

人んちのことは分からないけど、親との関係なんてそんなもんだよなあ。

昨晩のことはあまり引き摺ってないから大丈夫。

今日も元気。