好きなもの描いてみた
先程イオンで購入したものたち。
お絵描きしたくてノートと下敷きとペン揃えたー!
ほぼダイソーだけども。笑
いっぱいお絵描きするんだ~!
試しにめろの好きなもの描いてみた。
わりと思い浮かばなかった。笑
増える毎に描き足していきたい所存。
ギャンブルあるある
金銭感覚がおかしくなっていく。
万札をサンドに突っ込む簡単な作業。
「いつか勝てるはず!取り戻せるはず!」
どんどんどんどんどんどんサンドにお金を放り込む。
どこにも取り返せる保障などないのに。
ただただ当たりを待ち続ける。
ぐうの音も出ない程の愚かな行為を繰り返す。
別の日になれば「今日は勝てそう!」「前回の分も取り返すぞー!」。
絶対勝てないのに。
私は大負けすると度々OD(大量服薬)をした。
2回程救急車で病院送りになった。
もうあの頃には戻りたくない。戻らない。
どれくらいの人がホールからこのような気持ちで帰路につくんだろう。
大概の人はそうかな。
悲しいね。ゲームセンターの方が楽しいね。
当たらないゲームはもうやめよう。
つまらないから。
ギャンブル「もう行かない」と決めたなら
自分への戒めの為に。
ギャンブルをしたいと思う理由
1.暇を潰したい
時間は潰せるけど、時間が潰れるだけ。
有意義に過ごせる時間さえ削り取られてしまう。
2.お金を増やしたい
増えない。増えた経験は当てにならない。
トータルとしては大負けしてる。
絶対増える保障はないけど、絶対負ける保障はある。
ほんとに絶っっっっっ対!!増えない!!!
3.快適な空間で過ごしたい
受動喫煙しまくり。服や髪が臭くなる。
目がチカチカする。騒音が煩い。
椅子に座りっぱなしで腰と肩とお尻が痛くなる。
これらのどこが快適か。家でごろごろして過ごしてる方がずっと快適。
4.当たった時の興奮が忘れられない
外れた時の絶望感を思い出そう。
あと、その興奮や高揚感は仕組まれている演出で、依存症からお金を搾り出す魔法が掛かってるってるということを知ろう。
世の中にはもっと興奮することやドキドキすること、楽しいことが満ち溢れてるというのにお金を吸い取られるゲームごときに惑わされるのはやめよう。
こんなことの為に、
一生懸命稼いだお金を使うんですか?
負債を作るんですか?
大事な人に嘘をつくんですか?
もう病気だよ。
やめよう。病気だと自覚しよう。
パチ屋に行きたくなったら「あ、症状が出てきたな」ってお金を使えないように管理してもらうか、他の趣味に没頭しよう。
ギャンブルにハマってなかった頃は何してたんだけ?って思い出そう。
どんな人生を描いてたんだっけ?
どんな自分になりたかったんだっけ?
きっと大事なものが思い出せるよ。
大丈夫、まともな人間に戻れる。
「もうあんな所には行かない」
そう決めたなら、大丈夫。治療開始。
純粋にただの変態なんだと思う
めろ「先輩何するんですか!」
くろ「何もしないよー」
めろ「やだ、そんなとこ触らないで下さい恥ずかしい!」
くろ「大丈夫恥ずかしくないよー」
くろ「はあはあはあここがいいんだろう?ほらもうこんなだよ!」
めろ「おじさんやめて!」
くろ「はあはあはあめろちゃんッ!めろちゃん可愛いよッ!」
めろ「やあんおじさああん!」
めろ「もうっ!こここんなになってるわよ!変態」
くろ「ご、ごめん」
めろ「は、早くこっちも触りなさいよ馬鹿っ!」
くろ「お。おう」
みたいな、遊びをよくしてます。
別にマンネリなわけじゃない。笑
勝手にシチュエーション作って変態ごっこするの単純に楽しい。
BUMP OF CHICKENの「ギルド」が好きだ
バンプの「ギルド」という曲が好きです。
思春期の悩みに悩んでた時代によく聞いていたのを思い出したので書いてみる。
何がいいかって
美しくなんかなくて 優しくも出来なくて
それでも呼吸が続くことは 許されるだろうか
ってところがいいと思うんです。
人には誰しも「理想の自分」というものがあって、でもそれに叶わくても、生きていていいですか?って葛藤というか問いかけてるのがぐっとくる。
あくまで個人的な解釈でしかないんですけど。
あとは、
休みをください 誰に言うつもりだろう
っていう歌詞。
ほんと誰に言ったらいいんだろうって思ってた。
学校の先生かな。職場の上司かな。親かな。恋人かな。
誰に言ったら休ませてもらえるんだろう。
そんな風に思う人にだって、勿論思っていない人にだって「日常」として毎日はやってくる。まともなのか、狂ってるのか。
病んでる今の自分と頑張ってた自分が確かにいたことを感じさせるようなところもいいなあって思います。
こういうそっと思ってることを代弁してくれるような歌がバンプには多い気がします。
憂鬱なときに聞くと効果絶大で涙が出ます。
是非聞いてみてください。
いい曲です。
「死にたい」と思ったら、自分を殺そう
「死にたい死にたい消えてなくなりたい」
どうしようもなくそんな衝動に駆られることってありますよね。
誰しもとは言わない。
満たされていて、現状に満足していて、どこかに心の支えがある人はきっとそうは思わない。でもそういう人ばかりじゃない。
私だってあった。
「こんな自分死んでもいい。死んでも誰も悲しまない。死んでも世界は変わらない」
そう思ったことが何度も何度も何度もあった。
でも今、何とか生きてきて思う。
「ああ、生きててよかった」
死にたい人はほんとに死にたいのかな。
仕事が嫌なのかな。だったら辞めたら死にたいと思わなくなる?
失恋が悲しいのかな。新しい恋人ができたら死にたいと思わなくなる?
人間関係が苦しいのかな。その人間関係を断ち切ったら死にたいと思わなくなる?
無力な自分が悔しいのかな。だったらその自分を一回殺してみよう。
誰にだって嫌なことやストレスはあって、健康な人はそれをどうにか緩和できて、解決できて、健康じゃなくなっちゃった人は立ち止まるんだ。
悲しみや寂しさや悔しさや虚しさから自分のこと要らないって思ったら、一回殺そう。
そのうつうつとした自分は捨てよう。
原因から逃げよう。
「死にたい」と思わせてるのはほんとのあなたの心じゃない。
それはもう病気がそう思わせてるんだって思おう。
その感情はとても苦しいものだけど、自分の心が助けを求めてるんだなあって頭の隅っこで思おう。
「はい、死んだ」
「じゃあ生き返ってもう一回始めてみよう」
人間だってやり直しはきくんだ。
人生って一本の道を辿ってるように見えるけど、わりとそうじゃなくって、選択がちゃんとできるように分かれてる筈なんだ。
これまでの自分はもう死んだ。
新たな岐路に立ったんだ。
上手く出来ない自分が悔しくて、一人ぼっちが寂しくて、お金ばかり掛かる自分が情けなくって、幸せになれる保障だってなくて、こんな冷たい世界で生きていくのはすごく辛い。辛くて辛くて仕方なかった。
でもね、誰かは絶対励ましてくれた。
それは身近な誰かじゃなくていい。ネットを通して繋がった人だっていた。
共感されると安心して、「一人じゃないんだ」って思えた。
どうしたって眠れない夜はあるし、明けないでほしいと願う朝もある。
でも一人じゃない。
誰かが話を聞いてくれるし、応援してくれる。
あなたが死んだって世界は何も変わらず動いていく。
クリニックの先生は言ってた。
「それは誰が死んでも同じことだと思うよ。僕が死んでも、大統領や大富豪が死んでも、世界は何も変わらない」
結局誰が死んでも価値は一緒なんだ。
こんな自分って思ってても、誰かと比べたって意味ないんだ。
だったら生きて、生きてみて、変わるものを見つけた方が有意義だ。
憂鬱な気分はすぐにはよくならないけど、時間が経てば憂鬱じゃなくなる。
薬を飲んだっていいし、カウンセリングを受けても大分効果はある。
嫌だったことから逃げ出して、休んでしまって構わない。
苦しいときは逃げていいんだよ。
それで楽になるのなら、是非私はそうして欲しい。
誰もあなたを咎める権利なんてない。
どうにか生きてれば、幸せを感じることだってあるんだ。
「生きててよかった」って思う瞬間がどこにでも散らばっている。
こんな美味しいものが食べられて幸せ。
綺麗な風景が見られて幸せ。
あなたと会えて幸せ。
絶対にあるから。
どうかそれまで、ぼちぼち生きてみて下さい。
私はあなたが生きることを願います。