第一印象でダメな奴だと思われることのメリット
コバルトブルーの生地、服の真ん中には大きくて不気味なグレーのパンダの顔。黒のショートパンツに黒のレギンス。左手の薬指には真新しい結婚指輪、右手の薬指には黒い石のついたゴツめのシルバーリング。小さな黒いボールの連なったブレスレット。左耳にはループに星のついたピアスを一つ。
目の周りはいつもよりラインを引いて強調されるように。ほとんどパーマの取れてしまった髪もスタイリング剤でちょっとだけ復活させてくしゃっと崩れるようにセット。唇はいつものピンク強めのリップティントを乗せて。
「強そう」
とくろさん。
「可愛い?」と聞くと「可愛い」と返してくれるところが最高に好き。
初めての人と会うとき、私は自分の持っている服の中で一番「強そうな服」を着ていく。「強そう」というのは分かりにくいけど、「好みが分かれやすそうな服」、例えばちょっとパンクっぽいというか、ロックっぽいというか、自分がどんな系統の服を着ているのかよく分かっていないのだけどそんな服。私は「強そうな服」と思っている。
そんな時はアクセサリーも沢山つける。付けられるところには全部つけたい。装備も完璧じゃないと強くなれない。
物心ついた頃からそんな「強そうな服」を好んで着ていた。
母には「そんな葬式みたいな服じゃなくてもっと可愛らしい服をきたらいいのに」と言われてきた。真っ白なシャツやひらひらのスカートなんて論外だった。
物心ついた頃から同性も異性も怖かった。
女子はグループを作って陰口を言い合うし、男子は女子を異性としてしか評価しないから。だからどちらにも敵を作らず、深く関わられないような服装を好んで着ていた。あまり性別を括られないような服。それが「強そうな服」だった。
それでも何故か、同性の恋人も異性の恋人もいた。
どこに惹かれてくれたのかは分からないけど、中性的に振舞ってきたせいなのか、こんな自分を好きになってくれる人もいるもんだとすごく不思議…というかモノ好きだなあと思っていた。だってそうでしょ、どこか魅力的だと思ったのか未だにさっぱり分からない。きっと怖いもの見たさとか、そんな感じだったんじゃないのかなあ。
しかし、そんな恋愛経験も経て少し大人になって、「可愛らしい服」への偏見みたいなものも薄れていって、最近では女の子らしい服を着るようになった。白い服も余裕で着るし、スカートも花柄もへっちゃらになった。年齢的にキツいかなあと思った「強そうな服」は結構捨ててしまった。性別関係なく、あまり人と深く関わる機会が減った安心からなのかもしれないけれど、どんな服でも着れるようになったのだ。これは喜ばしいことだ。母から「今日可愛い服着てるね」と褒められることも増えた。
それでも、くろさんと結婚して、くろさんのおうちの人と会う機会が増えて思う。また「強い服」が必要なんじゃないかと。自分を守るためだった「強い服」が欲しいというのは、人間関係が怖くなった時だ。最悪だ。私はまた「そういうこと」で悩むのか。
私は元来ダメな人間なのだ。
女の子らしくもないし、可愛らしくもないし、マナーや礼儀がちゃんとしてるわけでも、とびきり優しいわけでもないのだ。
「くろさんのお嫁さん」はこんなダメ人間なのだ。
期待されては困るのだ。それでなくても看護師というのは世間的に「白衣の天使」のイメージがついてまわる。そんなのクソ喰らえだと思っていた私だ。タバコも吸うし、ピアスの穴もそれなりに空いているし、お酒もガバガバ飲むし、そんなイメージ持たれてしまっては困るのだ。
まず最初から印象が良いとダメだ。
私はそれに応えられないから。だから「強い服」を着て牽制する癖がある。
自分はあまりまともじゃない、と思っていてもらいたい。
「期待外れだ」と思われることが結局一番怖いのだ。
何とも言えない、後味の悪さみたいなものを引き摺るような気がする。私が悪いんじゃなくて、勝手に期待したそっちが悪いんでしょ、と他人のせいにしたくなる自分も嫌だし。だから最初から期待されないような服装が楽なのだ。やはり人は視覚情報で得るものが一番大きいから、服装は大事だと思うのだ。