思うまま、幸せについて考えてみた
簡単に幸せを感じるには、そのハードルを自分自身で下げることが手っ取り早いんじゃないかと思う。
今日は天気がいいな、幸せだな。
ごはんが美味しいな、幸せだな。
好きな人と一緒に居れる、幸せだな。
そんな風に、当たり前のことに対して敏感に幸せを感じればきっと毎日ハッピーなんじゃないか。どうしてハードルばかり上げようとしていたのだろう。いや、あの1Kの部屋に住んでいた頃は当たり前のことすらままならなかったような気がする。今はくろさんと一緒に居られて、当たり前のことは普通に出来る暮らしを送れている。それだってとてもありがたいことだし、私一人では出来なかったであろうことだ。
だからきっと私は幸せだ。幸せなのだ。
でも何かが足りないと思ってしまう。
自分自身が何か満足していない。自分に満足出来ていない。
幸せ=満足度だとすると私は今100点満点中50点くらい。
他者から与えられたものでの満足感しかない気がする。私自身が稼いだ50点じゃない。
考え方が凝り固まってる気がする。
もっと柔軟に幸せになる方法を考えたい。
50点で満足出来ればいいのかな。
もしかして俗に言うあれかな。
「君の幸せが僕の幸せだよ」
もうその段階まで来てしまったのだろうか。
私の幸せはくろさんを幸せにすることで得られるのだろうか。
今まで就いてきた仕事って、看護師なんですけど、患者さんの為にってみんな思いながら働いてる。「ありがとう」、「良くなった」って言ってもらえることを励みに頑張ってる。わりとやり甲斐を感じやすいし、誰かの為になってるっていう喜びみたいなのが分かりやすい。
私は看護師の仕事が好きだった。
こんな私でもこの人の役に立ってる、ありがとうって言ってくれる人がいるっていうのは心強い。
何かで見たことがある。
誰かに尽くして得られる喜びは大きいって。
私の幸せはくろさんや誰かを幸せにすることで得られるのかもしれないなあ。