ひたすら幸せになりたい系女子

ひとりごとをぼそぼそ呟く雑記ブログ

女子トークの微妙な変化を楽しむ

 

「どんな人がタイプなのー?」

 

恋愛トークでよく女子たちの間で聞かれる言葉である。

私も昔はよく、「顔の濃い人!」とか「逆三角形の身長高い人!」とか「年下!」とか答えていた。

嘘じゃない、本当のことである。

当時はそんな男性に魅力を感じていた私である。

 

聞けば各々、様々な回答が返ってくるからついつい楽しくて聞いてしまう。

その手の話題は途端に盛り上がるし、「分かる~!」とか「え~まじでー?」とか反応も人の数だけあったりするから面白い。

まあ昔の、20歳前後の頃の話だ。

 

思えば最近、そんな女子トークしてないなあと感じる。

新しい職場で仲良くなった人としたっきりかなあ。

でも、30~40代にもなってくると「イケメン、若い子」とか「普通の人なら、、、」とか、そりゃあもう性格が表れるような返答がきたりする。

何だろう、夢とか希望とかトキメキとかが感じられない、というか。

理想が高い人もいれば、低い人もいれば、というか。

とにかく若い頃とは理想のタイプが変わったんだろうなあという人が多い。

 

かく言う私だって旦那と結婚して変わったのだけれど。

好きな人が理想のタイプ、ってやつである。

ただのノロケである。

 

女子トークも年代によって変わってくるのを実感する。

そんなお年頃。

理想と現実の間には大きな壁があることに気付き始める20代後半。

 

これから私たちの女子トークはどんな変化を遂げていくのか見物である。

いつまで「女子」と呼んでいいかも迷うけれど、女性は誰しも心は乙女のままなのだから、きっといくつになっても「女子」なのである。

 

 

好きなことを仕事にする勇気

自分が決めて歩いてきた人生に今更文句はつけられないけれど、人の人生を見て、羨ましいと思うことはある。

例えば高校の部活の友人。

美術部に所属はしていたけど、私は全くやる気がない部員で、言われたことを最低限やってればいいかなあくらいの気持ちで毎日部室にいた。

しかしその友人はヘッドホンで音楽を流して周りとの境界線をつくり、黙々とひたすら絵を描いていた。

それはもう真剣に。

時折話しかけては下らない話題で邪魔をしていた私は魔性のクズである。

 

その友人、高校卒業後はイラストレーターや漫画家を目指すような専門学校へ進学し、すぐさま漫画家になった。

余談であるが、早いうちに結婚もし、現在は二児の父でもある。

 

今でも極たまに連絡を取ったりするが、仕事は順調、家族仲もすこぶる良好のようで、私なんかから見たら幸せな人生の極みに見える。

 

何より昔からなりたかった漫画家に、本当になってしまったことがすごいと思う。

作品を描き、賞を取り、編集者に認められ、プロになる。

元々才能はあるような雰囲気だったが、一番はその上をいく努力の賜物だろうと感じる。

 

好きなことを仕事にした身近な例がいると感銘を受けるものだ。

私は作家になりたかった。

けれど、なれる保証もない職業を目指す強い志しもなく、その夢は儚く散り終えた。

そして結局、安定した職を選んでしまった。

 

今なら思う。

努力して、夢を追うべきだったのではなかろうかと。

好きなことを目指す、薄給でもいいからすがり付く。

そんな根気があれば、人生はもっと輝かしいものになっていたかもしれない。

 

とは言っても、私だって夢を諦めたわけではない。

今から出来ること、拓ける道もきっとあると信じてる。

 

好きなことを仕事に。

これ程ロマンに満ち溢れたものはあるだろうか。

だから私は、漫画家になった友人を羨ましがると同時に、とても尊敬しているのだった。

 

 

仕事場の人間関係で悩んだときの対処法

仕事場で、どうしても相性の悪い同僚とか、よく怒ってくる上司とか、ほんとに嫌いなタイプの人間って少なからずいる。

それらの人間関係がひどくストレスになることなんてざらにある。

そして気の合う友達との飲み会のときに「ほんとムカつくんだけどー!」って愚痴って発散したり、まあ大抵誰かに吐き出して共感してもらうのが、一番のストレス発散になったりするわけである。

 

ただし受け流せない、発散できないこともある。

だって人間だもの。

そんなときにふと考えるようにしていたことがある。

 

「この一見嫌な人にも、大切な守るべき家族がいて、逆に大切に思ってくれる人がいて、一生懸命働いているんだなあ」

 

って。

そうすると少しだけ優しい気持ちになれる。

何だかその人の裏側、真の姿を知ってしまったような気がして気が紛れるのだ。

「大切な人」は、恋人でも、親でも、子どもでも誰でもいい。

都合のいい関係性の人を想像する。

休日は恋人とラブラブ映画デートでもしているのかもしれないし、家族と食事にでも行ってまったりと癒されているのかもしれない。

勝手な妄想は幸せな方向に流れていく。

 

怒ってきついことをいってくるこの人も、仕事が終われば大切な人にただいまを言って笑うんだろう。

そんなことを考えると何故だか愛しくさえなってくるのだ。

きっと根は優しい人なんだろうなあ、なんて思い始めたりもする。

嫌いだ嫌いだ大嫌いだ!なんて思っていたくせに。

 

 

そんな、嫌いな人の対処法を試していたことがある。

もし、ムカつくことを言われたりして、心を乱された際に、参考になれば幸いです。

ただし、わりと妄想力が試されます。

 

 

誰かに頼るのは迷惑、と思ってしまう人へ

 


メンタル弱い人の訓練 - ひたすら幸せになりたい系女子

 

これで書いたこと、簡単にできたら苦労しないよなあって思って、ちょっと補足したかった。

他人を頼るっていうことに慣れてない人が、結局一人で抱え込んでメンタルを崩しやすいけど、誰かを頼る、助けを求めることに抵抗はないだろうか。

例えば、「こんな夜中に誰かに相談したいけど迷惑ではないだろうか?」とか。

この手の相談するってことは、よっぽど信頼してる人のはずなんだよね。

恐らく相手の人も同じようにあなたを信頼してる人。

そんな人は、「夜中だから」「明日仕事があるのに」とかの理由で、その相談を断ったりしない。

だって迷惑じゃないから。

多少の負担にはなるかもしれない。「仕事があるのに夜中に相談事を聞く」ということは、睡眠時間を削り耳を傾けること。

でも、迷惑なんかじゃない。

逆にあなたの大事な人が困っていて、すぐに相談したい状況のときに「忙しいかなと思って、本当はあなたに相談したかったんだけど、他の人に相談した」って後から言われたらどうだろう。

「相談してくれればよかったのに!」

って思ってしまうんじゃなかろうか。

他の人だってそう。

夜中に眠くたって、大事な人が困っていたら「話くらい聞くよ」って思ってくれるはず。

逆に言わないでいて体調を崩したら、「何で頼ってくれなかったの?」って思うはず。

だってあなたが大事だから。

 

だから迷惑なんかじゃない。

負担にはなってしまうかもしれないけど、それは好きで担うものだから、迷惑とは違う。

だから、信頼してる人には出来るだけ言葉にして伝えてほしい。

そんな人が一人でもいれば、心の拠り所になってくれるはずだから。

 

 

と、いうのは全て主治医からの受け売りです。

私もなかなか人に頼れなかったからね。

でもこれを言われて、確かに自分の大切な人が困ってるときに力になれなかったら寂しいなって思って、周りの人もそう思ってくれてるのかもしれないと思ったら、母親とか旦那とか専門時代の友達とかに、悩みを話せるようになった。

人に不安を聞いてもらうとやっぱり安心する。

 

だから大切な人に頼ることを恐れないでいい。

寧ろ、頼ってほしいって思ってると思うし、迷惑だなんて絶対思ってないから。

 

勇気を出して、言葉にしてほしい。

 

 

 

さよならのときに

医療現場で働いていたときに、初めて亡くなる患者さんを受け持ったことがあった。

受け持ちを発表されてからは憂鬱で、先輩からは「何だ、元気ないな」と言われる程態度に出ていた。

こんな状況で元気に業務できるか!とその時は反発したい気持ちでいっぱいだったのだが、よく考えればそれが私の仕事なのだった。

 

命を繋いでいる沢山の薬。

ピーピーと、その薬を流している機械が鳴る度に、個室のドアを開け、すでに意識のない患者さんと、そのベッドの周りを囲むように座る家族の方と顔を合わせることになる。

部屋の中は静かで、私の作業の音だけが妙に目立つ。

私の唯一の作業は、患者さんの命を繋いでいる薬がなくなったら完全にそれを切りに行くことだった。

普通であれば、大事な薬がなくなったら追加をする。

しかしその患者さんは、もう何を施しても生命を維持できる可能性はないと判断された。

薬がなくなる度、担当の医師に確認に行く。

「先生、薬がなくなりました。追加しますか?」

「いや、もうしなくていいよ」

私はその言葉を聞くたびにひどい不安感に襲われた。

よっぽどひどい顔をしていたんだと思う。

先輩が「大丈夫か?」と声をかけてくれた。

私は涙を堪えられず、震える声で訴えた。

「先生が、薬を追加しなくていいって言うんです。でもそしたら、死んじゃうじゃないですか」

今思えば、どうしようもなく当たり前のことを言った。

もう蘇生は望まないと家族から了承は得ていたのだから、生かすために使う薬はあるもので最後。後は自然に亡くなるのを待つのみだった。

しかし私は、諦めることに罪悪感を感じていたのだ。

薬を流し続ければ、あと何日かは持つかもしれない。

私だけが反れた考えを抱いていた。

 

担当の医師が近寄ってきた。

真剣な顔で私にこう言ったのを覚えている。

「死に様をちゃんと見とくんだぞ。それがその人の生き様なんだから」

泣いた。

それこそが私にその日課せられた使命だった。

その患者さんは、多くの家族に看取られながら亡くなった。

 

亡くなる多くの患者さんの中には、家族の看取りなく一人で逝った人もいる。

先生が、言ったのはそういうことだった。

生きている間に徳を積んだ人は、沢山の大事に思ってくれる人達に愛されながら亡くなっていく。

しかし、逆もまたあるのが現実なのだ。

 

死に様は、生き様。

 

私はこの言葉を一生忘れないだろう。

自分が事切れるその時に、自分自身の生き様を見ることになるだろうから。

できることなら誰だって、家族に見守られながら安心して死んでいきたいものだと思う。

 

生きてるうちに、誰かを愛して、大切にして、優しさを与えて、誰かに愛されて、そんな風に過ごしてほしい。

 

死ぬときに、寂しくならないように。

誰もが、愛されて死ねますように。

 

心の動かし方

最近何かに心を動かされることはあっただろうか、と考えるとなかなか思い浮かばない。

何かに感動したとか、熱狂したとか、ときめいた、とか。

歳を重ねるにつれ、そういった感情の変化が鈍くなっていると感じるのは気のせいではないように思う。

ここ最近の私と言えば、結婚したり妊娠したり、人生においての大イベントを経験してきたはずなのだ。

それは単純に嬉しくて、これが幸せってやつかーなんて思ったりして、そう、ただ単純に幸福感に包まれていた。

激しい情動ではなく、染み入るような感情の変化だ。

 

10代の頃を思い出して、そんなに激しい感情の変化があったかと言われればマイナス面に動いたことしか思い浮かばない。

あ、それは嘘だ。

2002年のサッカーW杯はドキドキしながら日本代表を応援したし、中学生の頃には吹奏楽部に入部しており大会や演奏会の度に緊張し、その出来映えに一喜一憂したものだった。

 

その時の興奮や喜び、悲しみに比べると、今現在の感情の変化は些細なもののように感じる。

それは歳を重ね、様々な経験を積んだからなのだろうか。

それとも単に、心が動く体験をすることが減ったからなのだろうか。

 

別に感情の起伏がないわけではないのだ。

楽しいことは楽しいし、嬉しいことは嬉しいし、悲しいことは悲しいし、それは今まで同様感じるのだ。

ただ静かになったな、とは思う。

ふつふつと沸いてくるような、そんな感じ。

 

それが少し、寂しかったりする。

趣味に熱狂したあの頃を思い出して、またその気持ちを味わいたいと切望したりする。

実習や勉学に励み、寝る時間さえ削っていた専門学生時代のように、何かに一生懸命になりたいと思ったりもする。

 

今は、少し手を抜いているのかもしれない。

必死に生きていた日々を、輝かしい青春のように感じてしまうのは、今がそうじゃないからだ。

仕事に打ち込むわけでもなく、夢中になる趣味も持っていない。

それが少し寂しいんだと思う。

 

もがいて、足掻いて、少し苦しいくらいの方が多分刺激的で、生きている心地がするのだ。

ぷかぷか浮かんでいるようでは、なかなか心は動かないんだと思う。

 

今は妊娠中で、入院中で、どうしようもないけれど、出産して自由に動けるようになったら、また足掻いてみようと思う。

私はまだ、楽に浮かんでいたくない。

まだ心を響かせていたいのだ。

 

 

 

 

 

エロスと風情

Twitterでは大方変態チックなことばかり呟いている。

根が変態だから仕方ないと思う。

 

そんなだけど風情のあるものが好きだったりする。

田舎の風景とか、和服とか、縁側とか。

言うなら清らかそうなもの。

 

どちらも好みであることには違いない。

ただ美しいと思うものの性質が極端に違うだけの話だと思う。

 

寧ろそのギャップに惹かれているような気さえする。

清純そうに見える女子アナウンサーが、脱いだらすごくえっちな下着を身に付けていた的な。

いや、違うな。

ガチガチのパンクファッションの女の子が、実は控えめ清楚な下着をはいていた、という方が惹かれるかもしれない。

 

そんな感じだ。

分かりにくいかな。

 

刺激的なものを好む。

しかし穏やかさも求める。

同時に真逆なものを欲しがる。

 

それが私の性癖なんだと最近になって気付いた。

そんな生活が理想で、そんな人間になることに憧れていて、とりあえず私はそんなものを目指している。

 

どっちかだけじゃ物足りない。