生きる理由より死なない理由で生きてる
昔は単純に孤独感とか罪悪感、無能感で死にたくなった。
今は幸せ過ぎて思い残すこともなくて、いつ死んでもいいなあと思う。
生きていくということが嫌なわけではないんだけど、生きることにしがみつくのが怖いのかもしれない。
いつ死んでもいいや、という考えは昔から私に万能感をくれた。
そういう肝の据わらせ方が癖になっているんだと思う。
いまだにそう考えなければ、未知を生きるのが怖い。
わりと進歩してなくて笑ってしまう。
ブログやTwitterをやっている精神疾患を持った方々は、自分の状態を大事に把握した上で生きやすい道を探して奮闘している方が多いなあと思う。
または、自分の経験を人のためにと発信している方。
皆病気を持ってから、生活や志を変化させてきたんだろうなあと思う。
私は何か変わったかなあ。
結局ブログもTwitterもただの捌け口と化してるし、自分も弱いまんまだし。だからってそれを悪いとか感じてないし。
興味がないのかな。単に。
自分のことも、人のことも。
死にたい奴は死ねばいいと思ってるし。
でも頑張って生きてる人は応援したいと思う。
自由に生きるとか死ぬとかってそういうことでしょ?
私はいつ死んでもいいけど、今人質がいてね。
私が死ぬともれなく旦那もついてくるのです。笑
だから簡単には死ねないんだなあ。
一緒に生きるっていうのは、一緒に死ぬってことなんだね。
ロマンチックが止まらない。好き。笑
旦那が私と一緒だと楽しいって言うから生きる。私も楽しいし。
それ以外の理由なんて必要ない。
旦那が穏やかで楽しく健やかであればいい。
幸せにしたい。それだけ。