自傷や自殺未遂の傷みは強く生きてる証拠
「病んだ」と言って、自傷画像をツイートする若者の多さに目が眩む。
その「病んだ」原因は、「学校が嫌」だったり、「寂しい」だったり、様々なのだが、私自身自傷癖を持ち合わせる身としては、共感出来たり出来なかったりこれまた様々だったりする。まあ私の共感などは必要もないことなのだが。
とりあえず言いたいのは、画像を載せるのはやめてほしいということだ。
単純に気分が悪くなるから。
あとは、「切りたい、切ろうかな」みたいな声明を事前に出すのもやめて頂きたい。
勝手に「助けてあげなきゃ」って思って、こっちの方が穏やかじゃなくなるから。
軽々しい気持ちでリストカットをしているわけではないことは重々分かっている。
しかしそれを他人に見せびらかすのはどうだろうかと思う。
折角SNSという匿名性の高いツールを使っているのなら、まず言葉で助けを求めればいい。
それが意味のないことだと感じるなら、わざわざ自傷画像を載せることだって意味のないことだと理解してほしい。
やるならひたすらこっそりとやってくれ。
その行為を「ストレス発散」と言うのなら。
私も最近リストカットをしたけれど、それは「死にたい」と思っての行動だった。
思いの外痛くて、自殺しようなんて気も落ち着いたのだけれど、精神科の医師には「それが生きる力ですよ」とニッコリ微笑まれた。
そうなのだ。
死ぬのは痛いのだ。
ましてや自殺なんて超痛いに違いないのだ。
その「痛い」が自殺を踏みとどまる、人間の生命力なのだと思うと、痛覚とはとても大事な感覚なのだということに気付く。
ああ生きているんだなと実感する、唯一の感覚かもしれない。
そう、痛いのは嫌なことだけどわりと大事なのだ。
自傷をやめろとは言えないし言わない。
それで気が紛れることを知っているから。
ただそんなの見たくない人だって沢山いるのは理解してほしい。
勝手にやってればいいのだ。
ストレス発散とはそういうものだ。
きっと経験を積んでいくと気付くときがくる。
自傷して気が紛れるうちは大したことで悩んでないなって。
傷つけて済むなら簡単なのだ。
自己解決できているのだから。
切ってもどうしようもない悩みがこれからいくつも出てくる。
それをどう解決していくかが生きる上での課題になっていくことに、若いうちは気付かないだけ。
頑張れ若者たち。
自傷なんかしてないで、もっと有益なストレス発散方法でもリストアップしておいた方が為になるよ。