心の動かし方
最近何かに心を動かされることはあっただろうか、と考えるとなかなか思い浮かばない。
何かに感動したとか、熱狂したとか、ときめいた、とか。
歳を重ねるにつれ、そういった感情の変化が鈍くなっていると感じるのは気のせいではないように思う。
ここ最近の私と言えば、結婚したり妊娠したり、人生においての大イベントを経験してきたはずなのだ。
それは単純に嬉しくて、これが幸せってやつかーなんて思ったりして、そう、ただ単純に幸福感に包まれていた。
激しい情動ではなく、染み入るような感情の変化だ。
10代の頃を思い出して、そんなに激しい感情の変化があったかと言われればマイナス面に動いたことしか思い浮かばない。
あ、それは嘘だ。
2002年のサッカーW杯はドキドキしながら日本代表を応援したし、中学生の頃には吹奏楽部に入部しており大会や演奏会の度に緊張し、その出来映えに一喜一憂したものだった。
その時の興奮や喜び、悲しみに比べると、今現在の感情の変化は些細なもののように感じる。
それは歳を重ね、様々な経験を積んだからなのだろうか。
それとも単に、心が動く体験をすることが減ったからなのだろうか。
別に感情の起伏がないわけではないのだ。
楽しいことは楽しいし、嬉しいことは嬉しいし、悲しいことは悲しいし、それは今まで同様感じるのだ。
ただ静かになったな、とは思う。
ふつふつと沸いてくるような、そんな感じ。
それが少し、寂しかったりする。
趣味に熱狂したあの頃を思い出して、またその気持ちを味わいたいと切望したりする。
実習や勉学に励み、寝る時間さえ削っていた専門学生時代のように、何かに一生懸命になりたいと思ったりもする。
今は、少し手を抜いているのかもしれない。
必死に生きていた日々を、輝かしい青春のように感じてしまうのは、今がそうじゃないからだ。
仕事に打ち込むわけでもなく、夢中になる趣味も持っていない。
それが少し寂しいんだと思う。
もがいて、足掻いて、少し苦しいくらいの方が多分刺激的で、生きている心地がするのだ。
ぷかぷか浮かんでいるようでは、なかなか心は動かないんだと思う。
今は妊娠中で、入院中で、どうしようもないけれど、出産して自由に動けるようになったら、また足掻いてみようと思う。
私はまだ、楽に浮かんでいたくない。
まだ心を響かせていたいのだ。