ひたすら幸せになりたい系女子

ひとりごとをぼそぼそ呟く雑記ブログ

理想の自分にはもうならない

どうにも思考がごちゃごちゃしている気がする。

お盆中に色んなことを経験して考えたせいなのかなあと思っているけど。

何かそういうめんどくさいというか雑然としているものを整理したいので、闇雲にキーボードを叩いている感じがする。

 

私は自分が思っている以上にわがままで自由を求める性格なんだと実感したりとか。

好きなときに好きなことをしたいし、好きな人と一緒にいたいし、誰かに何かを強要されるのとか囚われるとか期待されるのなんてまっぴらごめんだし、怒られるのも勝手に失望されるのも嫌だし、出来れば何でも褒められたいし、気を遣いたくないし、文句なんか言われたくないし評価されたくないし、とにかく好き放題させて頂きたい。

以上のようなことを人様に言うと恐らく批判されるだろうから声を大にしては言えないけど、これは私のブログだから何でも書くのだ。

私は優しい人間ではないし気も遣えないし我慢もできないし、とてもじゃないけど人様に尊敬されたり見本にされるような人間ではない。自分が一番良くわかってる。

もっと優しくて人当たりが良くて、誰からも可愛がられるような性格だったらなあとも思うけど、26歳までこの性格だともう絶対治らないと思う。

で、さらに言うとこんな私を周りの人たちは受け入れるべきなんだと思ってる自分もいるからタチが悪い。受け入れてくれない人は嫌いだ。「あなたが私を認めてくれないなら私もあなたを認めない」ということになってしまう。

さらにさらに言うと、受け入れてくれる人はみんな「大好き」になる。博愛主義と言われたこともあった。わりとこんな人間でも受け入れてくれる人は少なくない(と思ってる)から世界はダメな奴に優しいなあと思っていたりするのであった。

 

くろさんと結婚してから、「可愛くて良いお嫁さん」を理想にしてもがいていた気がする。どんな異性がタイプなんだろう、と考えたり悩んだりもした。

でもこんな私に対してくろさんは「僕の全て」と言ってくれた。私はもうくろさんとニコイチなんだ。こんなでも好きになってくれたんだ、って何かちょっと安心した。ちょっとどころかものすごく安心した。

私のこと、くろさんにはどう見えているのかは分からないけど、認めてくれているからこうやって一緒にいるんだ。じゃあ私変わる必要ないじゃんって開き直れたんだ。

本当に根暗で自分に甘くてどうしようもない人間だけど、もう誰かにどう思われてるのかなんて気にしなくてもいいやって思ったんだ。

私にはくろさんだけいればいいや。

他の人にはどう思われてもいい、くろさんにだけ好きでいてもらえればいいし、自分で作った理想の私なんてもうどうでもよくて、くろさんが「可愛い」「好き」って思ってくれればそれが理想だし、とにかくくろさんが幸せで私のこと好きならそれで世界はハッピーなんだ。

 

理想の自分とか考えて、程遠い自分に絶望することもあったけど、もうしなくていいんだっと思うと安心する。誰かに好きって言ってもらえるってそういう事なんだ。

だから好きっていう言葉はすごいんだ。

すごいんだぞ。