ひたすら幸せになりたい系女子

ひとりごとをぼそぼそ呟く雑記ブログ

特別じゃない私、きっと誰しも特別じゃない。

浮いた。

昨日旦那が面会に来てくれてようやく気分が浮上した。

自分の性別が嫌になって、他人を拒絶し始めて、それでも「いつものことじゃん」って笑い飛ばしてくれるから、「あ、そうか。いつものことか」って安心して戻ってこれる。

やはり旦那の存在が私にとっては一番の薬なのだ。

 

あとはTwitterでも書いたけど、私は普通の人間で、誰かのために何て思うのはおこがましいんじゃないかとふと思った。

社会的によろしくない経験があったり、なかなか治らない病気を抱えていたりはするけれど、ただそれだけのことなんだよなあ。

わりとね、他人から見たらどうでもいい肩書きだったりすると思うんです。

自分だけが、悲劇のヒロインぶるのは見てて痛いだけだし、私は不幸だと思っていても、もっともっと大変な経験をしている人は沢山いるし、だから可哀想自慢はやめようと思って。

 

あと、私だって病気は治ってないから、これが良かったあれが効果あったなんて言えなくて、正直人の言う「うつに効果があった治療○選!」って言うのも信じていなくて。

主治医の治療を信じているからそれ以外は別に試さなくてもいいかなあというところもあるんだけど、結局素人の言うことなんだよなあと思うとどうも信憑性には欠けるし、精神疾患の治療なんて個人個人星の数ほど向き不向きがあると思うから、自分で探していくしかないよなあって思ってる。

参考までに試してみるのはいいと思うけれど。

 

慢性化した精神疾患は、その波をうまくコントロールしていくしかないんだよね。

私はいまだに出来ておりませんが。

不安定がデフォルトだと思って諦めています。笑

 

なんて言うか、今やメンタル病んでない人の方が少ないんじゃないかって時代だし、皆それでも頑張って仕事してたりちゃんと生活ししてたりしていて、所謂「病んでる」ことは特別視されることじゃなくて、そんな人達がとりあえず生きやすい社会になればいいなあとは思ってる。

きっとそうなると思うけど。

 

偉そうなことは言えないけど、病気になっても生きてればいいことあるから精神疾患に限らずどうにか生きてみて下さい、って言いたい。

それだけ。

 

 

 

ただの現状報告

昨晩から調子が悪い。

最初は人間に対する気持ち悪さだったけど、今は拒絶の段階まできている。

あまりに突然で何が原因だったのかさっぱり分からない。

 

頓服のワイパックスをもらった。

午前中の検査は無しにしてもらってひたすら目を瞑っていた。

いつの間にか眠っていて、気付けば昼ごはんの時間。

多くないけど食べることはできた。

 

薬の効果か少しばかり精神状態は落ち着いてきた気がする。

気持ち悪さは無くなってきた、と思う。

逆に眠って起きたら寂しくなった。

拒絶するっていうのは独りになるってことだ。

独りは寂しい。

寂しいけど誰もいない。

 

何か楽しいことを考えよう。

独りでも寂しくないようにしよう。

 

 

 

育てたものには愛着が湧くものだ

人って不思議なものだなあと思う。

 

私は私のことが嫌いだと思っていたのだけど、それとは真逆に、こんな性格がわりと気に入っていたりもするんだよね。

 

気分にムラがあって、我が強くて、ワガママで、メンタルが弱くて、自分に甘い。

 

良いところなんてないの。

あえて言うなら人にも甘いことくらい。

でも、そんな自分の性格を本気で嫌いになれないのだから不思議。

嫌い、って思うことも確かにある。

あるけど、好きまでいかなくても気に入ってはいる。

何だろう。自分に甘いせいか、これも個性なんだろうなあって思っている節がある。

人からバッサリ「あなたって性格悪いよね」って言われたら改心するかもしれないけど、今のところ言われたこともないし。

 

素直、って言うと聞こえはいいかもしれないけど、ほんと単純マンだから褒められるとすぐ調子に乗るし、いきなり頑張り出したりして、そういうところも悪くないって思っちゃう。自分で。

 

わりと皆そうじゃないのかなあ。

認めたくない部分もあるかもしれないけど、自分の性格って自分で育てたものだから、そんなに簡単に嫌いにはなれないものな気がする。

一つや二つ、ダメだなあと自覚することはあるかもしれない。

それでも、全部を否定してる人なんていないんじゃないかな。

きっと無意識にでも、自分のこと好きなものだと思うよ。

 

だから、自分自身のこと簡単に嫌いって思わないでほしい。気に入ってるところも絶対あるはずだから。

 

 

過去のブログと今のブログを比べる

専門学生のときにもブログを書いていた。

完全に身内向けだったが、今読み返すと難しいことなんて一つも書いていない。

「今日はこんなことが楽しかった」

「徹夜でテンションが上がっている」

「課題に追われているけど何故かアニメを見ている」

など。

頭悪そうで、どうしようもなく日々を謳歌しているのが伝わってくる日記だ。

メンタルがどうの、気分がどうの、なんて一言も書いていない。

ただ目の前のことに必死で無邪気で、全力で楽しんでいるのが伝わってくる、過去の自分が書いたものなのに人の日記のように感じる、そんなブログ。

 

書きたい内容が違うんだ、というのは言い訳にしかならない気がする。

あんな楽しそうな日記を今書けと言われても思い浮かばないもの。

青春してたなあと思い出に浸るしかない。

 

とは言っても、別に今が楽しくないわけではないのだ。

それなりに楽しいことやはしゃぎたくなるようなことはあって、それを糧に過ごしていたりする。

 

恥ずかしい話をすると、こうして文章を書いているのだって楽しいことの一つだ。

薄っぺらくて、本当に自己満足なものではあるけど、でも表現したり作り出したりすることは楽しい。

誰かに届いて欲しいなと願って書くこともあるし、単に自分は今こう思っています、のこともある。

ただ、読みにくい文章だったら嫌だなあと思って旦那氏にアドバイスをもらったりもしている。

 

ノウハウやハウツー物は書けないし書く気もなくて、何かのオススメをするにもそんなに使い込んでいたり読み込んでいるものもなくて、ただひたすら日々思ったことをぶちまける、エッセイにしては乱暴過ぎる文章をルンルン気分で書き殴っている私は、何を目指しているのか自分自身でもよく分からないでいる。

いや、何も目指してないんだけどね。笑

 

とにかく、専門学生時代のブログも、今のこのブログも、もっと後になったらまた楽しく読み返せるんだろうなあと思うとそれも待ち遠しい。

 

日記って本当に書いてて損はないなあとしみじみ思うのだった。

 

 

女になる、ということ(前回の続き)

今まで女としての強い武器なんて持っていたことがあったか、と聞かれれば、「ない、一度もない」としか答えられない人生を歩んできた私である。

それが何故アラサーにもなった今頃、こだわり始めたのかという話になる。

 

特にスタイルが良いわけではない。

身長は人並み以下だし、胸も小さいし、痩せてもいない。

おまけに負傷兵のように体中傷だらけ。

よく聞く「体目的で異性が寄ってくる」ということはまずない。今までも経験がない。

 

ならば顔立ちが整っているかと問われればそんなこともない。

男顔よりであるし、目が二重なくらいしか褒められそうなところがない。

 

性格なんて、言わずもがなである。

ワガママだし、一丁前に我だけは強いし、そのくせメンタルは弱いし、気立てもよくない。

 

おまけに家事が得意なわけでもなければ、言動が華やかなわけでもなく、というか喫煙者だし、言葉遣いもよくないし。

 

こう挙げ連ねていくと、どれ程女としての魅力に欠けているかがわかって、少し悲しくなる次第である。

次第であるが、性別だけは立派に女だから困ってしまう。

 

恐らく、自信がないだけなのだ。

今まで性別に囚われない生き方をしてきたけれど、私は晴れて結婚して最愛の旦那がいて、その旦那に嫌われやしないかと恐れているのだ。

 

そしてまた推測であるが、旦那はそんなことを気にする人間ではない。

ないはずなのに、私が勝手に気にしているだけの話である。

 

今までの人生の中で、女らしい女として生きてきたことがないからこそ、こだわるのだ。

普通に自分の性別を謳歌してきた人間ならあまり気にしないのかもしれない。

そんな風ならよかったのだけれど、実際問題そうじゃないから今こうやって悩んでいる。

 

大した問題ではない。

性別は確かに女だったけれど、それを意識せずに生きてきた人間が、旦那によってやっと意識するようになっただけである。

 

その変化に少しだけ戸惑っているだけの、ただの独り言である。

 

 

 

女の賞味期限

少女はいつ女性になるのだろう。

女性はいつ女性じゃなくなくなるのだろう。

 

妊娠して以来そんなことばかり考えている。

私は今何に属しているのかも分からないのに、もう長くない間に、少女でも女性でもなくなる気がして怖いのだ。

そしたら私は何になるのだろう。

女でなくなったら、誰が私を愛してくれるのだろう。

そんな疑問と不安が胸の中にもやをかける。

 

長くない間に、というのは要するに妊娠、出産後の話である。

妊娠中の今だって自分の体の変化に日々驚き、女としての魅力がなくなっていくことに絶望しているのに、出産後なんてどうなるんだろうと今から心配していたりするのだ。

妊娠線は確実に残るだろうし、帝王切開だから下腹部に手術痕も出来る。

私は幼い頃に心臓の手術もしているから、胸の下に大きくその傷跡も残っている。

おまけに、これは自業自得なのだけれど、アームカット根性焼きの痕まであって、しかもケロイド体質なものだから些細な傷すら消えずにあちらこちらに蔓延っていたりする。

20代にして既に傷だらけの体だ。

海でビキニなんて着られないし、人に見せられるものじゃない。

こんな体のどこに魅力があるのだろうか。

 

女であるにはどうしたらいいのだろう。

勿論、体の特長だけが女というものを作っているわけではないだろう。

しかし母親になったら、女の私はどこへ行くのだろう。

いや、母親になっても、女は女だと思う。

でもこどもの前では母親でなければいけない。

夫の前では妻でなければいけないし。

そんな器用な使い分けが自分に出来るのか、甚だ不安である。

ただただ無意識的に女でいた今までとは違うんだ、と考えると何だか性別を捨てるようで怖い。

私はまだ、女にすがっていたいのだ。

 

母親になっても、歳を重ねても、魅力的な女性は沢山いる。

きっと惜しみ無い努力をしているのだと思う。

そのような存在に、果たして私はなれるのだろうか。

傷だらけの体でも愛してくれる旦那に、応えてあげられるだろうか。

私の女としての存在価値は、いつまで続くのだろうか。

 

体の変化とは不思議なものだとつくづく思う。

こんなにも、精神を揺るがすのだ。

 

そして私はこんなにも悩んでいる。

知らぬ間に、いつまでも女でいたいと切望しているのだ。

 

 

 

好きなものを見てモチベーションを上げる作戦②


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不健康そうというか幸薄そうというか病んでそうというか、そういうのが全面に押し出された外見の女子に萌える。

 

出産後は、こんな画像みたいな子目指そう。

そうしよう。

 

ゆるふわパーマも好きだけど、折角直毛なんだしサラサラ前下がりボブにするんだ。

 

ダイエットして、ちゃんとメイクもして、「え?子持ちなの!?」って言われるように頑張る!