私の幸せの発端
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このブログを始めたとき、私は人生のどん底にいて、「幸せ」なんてまるで月や星を掴むくらい遠かった。
でも3食ちゃんと食べることができていたし、安心して眠れる清潔な布団があった。
父も母も温かかった。
しかしそれでもどん底は変わらない。
依存していたセフレとは離ればなれ、ギャンブル依存は治らず、借金が残っていた。
人生の終わりを感じていた。
このとき、本当は気づけたらよかったんだと思う。
衣食住が確保されている安心感に。
借金まで作って迷惑をかけた父母がそれでも見捨てないでくれたことに。
今更だから思うことなんだろうけど、その当時の私はただ底無し沼の底だけを眺めていたから全く気付かなかった。
ただ、幸せになりたかった。
幸せを「感じられる」のは余裕があるときだ。
余裕なんてなかったから、ただただ幸せを願った。
ブログを書き始めた当初、沢山の変化を心掛けた。
何事も形から入るタイプだったのが、幸いしたのかもしれない。
髪型を変え、行動力をつけ、今の旦那に告白した。
結果、状況はがらりと変わった。
私は大切な人を見つけたのだ。
それだけで、私の心は花が咲いたようだった。
寂しさが紛れた。
遠距離だったけど、毎日電話で声が聞けたし、休日は一緒に遊びに出掛けた。
楽しかった。
まだまだ解決できていない問題は沢山あったけれど、理解者が出来たのは幸せでしかなかった。
何がその当時の私を幸せにしてくれたのか。
発端はやはり「行動力」だと思う。
見せかけでいい。
嘘っぱちでいい。
ただ、行動する。環境や外見を変えてみる。
それがきっかけになってくれたのだと思う。
立ち竦んでいては何も変わらない。
変えようと思って変わらなくちゃ。
だから、幸せは掴みに行くものなのだと思う。
待っていても、何も変わらない。
不幸せだったときから幸せになる方法を導いてみる
幸せになりたいブログなのに主旨を忘れて横道にばかり逸れていたので、ちょっと初心に帰ってみる。
というかまず幸せじゃなかった時期を並べてみる。
・元カレと別れたとき
・セフレと2年間同棲してたとき
・ギャンブルをして借金をしていたとき
あえて、精神疾患のことを抜かせばこんな感じ。
客観的に見ると、「恋愛依存」と「ギャンブル依存」が私を不幸にしていたのだと分かる。
主治医は言っていた。
「依存先は多い方がいい。友達、家族、趣味とか。頼れるものや夢中になれることが多い方がストレスが分散される」
私は良くない意味で一途なもので、依存先が少ない。
彼氏がいれば彼氏にべったりだし、あることに夢中になれば、そればかりやっている。
まさにそれが不幸になる原因なのかもしれないと推測できる。
今はどうだろう。
・相変わらず旦那にはべったりだけど、今のところ喜んで受けとめてくれるから問題ない。
・入院中だからギャンブルもしていない。
・ハマっていることは特にないけど、あえて言うならブログとTwitter。
結果、わりと不幸せではない。
旦那とずっと一緒にいられないことや、タバコを吸えないことなどを抜かせば結構幸せなくらいだ。
つまりそういうことなのだろう。
私は依存先を増やせば幸せになれる!
何だか簡単に答えが出てしまったが、今のところはそんな感じで考えておこうと思う。
この先どうなるか分からないけど。
よって、何かに依存しやすい気質のある人は是非気を付けてみて下さい。
それが無くなるだけでメンタル軽くなるかも。
「文章を書くのが好き」の意味
私は文章を書くのが好きだ。
と、思っていた。
だから、物書きになりたかったし、最近流行りのライターにもなりたいと思った。
しかし、考えてみたのだ。
所謂、自問自答だ。
本当に、「文章を書くのが好き」なのか。
恐らく答えはノーだ。
私はライターのように、他人に決められた題で文章を書くことは出来ない。
だってそんなのつまらない。
書きたいことを書かなきゃ意味がない。
だから単に「自分の思考を表現し、伝えること」が好きなのだ。
そして表現の仕方はわりとどうでもよくて、写真も好きだし、絵を描くことも好きだったりする。
ただ、自分の溢れ出んばかりの気持ちや考えを表現出来れば、または伝えることが出来れば、形はなんでもいいのだ。
こだわりがないというか、適当だ。
だから、ブログやTwitterは自分勝手に表現することが出来て楽しいのだと思う。
こんな楽しいことが仕事になればなあ、なんて甘ちゃんなことを考えたりもするが、そんな都合のいい話があるわけない。
というか、「文章を書くのが好き」と言う大概の人は、同じような感じなのではないか、とも思っている。
伝えたいことがあるから書きたくなるし、なければ別に書く必要もないだろうし。
発信したくて、主張したくて、文章で、絵で、写真で、表現する。
考えに考えた末、楽しいと思って続けているうちが華だなあと思った私だった。
今日は旅人
何だかふと立ち止まることがあるのです。
立ち止まって、今歩いている道は本当に正しいのか確認したくなるときがあるのです。
誰かに知恵やアドバイスをもらいたくなるときがあるのです。
ネットでがむしゃらに何かを調べたくなるのです。
私は何かの答えを見つけたくなるのです。
何の答えなのか、果たして本当に正しい道を歩いているかどうかの解答が欲しいのか、自分でもよく分からないのだけれど、それでも何かを探したくて、見つけたくて、どうにも歯痒くなったりする。
そんなときも、時にはあったりするのです。
だから今日は、何かを探す旅をする、旅人になるのです。
この旅に答えはなくても、意味はありますようにと、願いながら。
絵詰め込み②
うつ急性期は興味や楽しみの喪失、集中力の低下があり、したいことを思うようにできない。だからぐだぐだと楽に過ごすのです。
思ったことを書きなぐってたノート、どこやったけなあ…
体力低下防止と気分転換に、母と一緒に散歩をする日もありました。一人で出歩くのはまだ怖くて、母に付いてきてもらってたのです。
うつ急性期の頃は、色々やってみてたなあ。
出来る範囲でだけど。
絵詰め込み①
まるで鳥籠の中にいるようで、いつか窒息しそうで怖かった。この窓から飛んでしまいたかった。
いつだって気持ちは晴れない。
と、主治医が言ってた。
以前やっていたブログから。
やっぱり絵描きたいなあ。
毎日頑張ってるあなたに聞いてもらいたいこと
ストレスを感じながらも元気に働いていて、まさか自分が精神疾患になんかなるはずないと思っている健常者の人に伝えたいことがある。
あ、別に難しい話とか説教染みたことは言いません。質問です。
・体調に不定愁訴が出てませんか?
(頭が痛くなることがある、とか、吐き気がする、とか、原因はないのに感じる症状です。)
・食事、睡眠は今まで通りとれていますか?
・突然涙が出たり、気分が落ち込んだりはしませんか?
・今までよりキレやすくなったり、よくイライラするようになってませんか?
・仕事だけでも大変な毎日、負担になるようなスケジュールを詰めていたりはしていませんか?
・漠然と「死にたい」と思うことはありませんか?
・ネットで「うつ チェック」「うつ 症状」など調べたことはないですか?
これらの症状や行動があったら、「もしかして」を疑うべきかもしれません。
「もしかして」は、「うつかも?」というよりは、「精神的に疲れているかもしれない」という意味です。
精神科に行って、いきなり「あなたはうつ病です」とは診断されずとも、「不安、抑うつ状態ですね」とは言われる可能性があります。精神科とはその扉を潜った時点で何らかの診断が付けられるものだと思って下さい。
しかし、症状に合った薬を処方され、きちんと内服しながら休暇をとれば、わりとその症状は重症化せずに済む場合が多いですので、「内服」と「休暇」を大事にして下さい。
とにかく、生活面や体調、気分の面で「いつもと違うな」「変だな」が出たら少しだけ、心のキャパオーバーを疑って下さい。
早期発見と治療は、心が疲れてしまったときにも大事なことです。
以上、忙しい毎日を生きる誰しもに覚えていてもらいたいことでした。
ポジティブとかネガティブとか関係なく、疲れるときは疲れるものだからね。
せめて、自分で「変だな」と気付けたらいいかなーと思って書きました。