ひたすら幸せになりたい系女子

ひとりごとをぼそぼそ呟く雑記ブログ

ダラダラと思ったままに書いている

皆すごいな、人の為になること書けていいな。

って羨ましがりながらメンタル系やライフハック系のブログを見たりする。

じゃあお前も書いてみればいいじゃんって言われたら絶対書けない無理無理、ってなるけど。そういうブログを書ける人は単純にすごいと思う。

 

私のブログってば最近、鬱憤晴らしと自分を鼓舞するツールになってるなあと感じる。

誰かの為に書きたいけど、ほとんど自分のためになってる。

こんなブログどんな人が見てくれてるんだろうと単純に思う。

 

悩みながら生きている。

どうにもならない後悔を背負っている。

 

大それた風に書くとそう。

でも生きているんだなあこれが。

 

双極性感情障害になって良かったなあと思うことがあるとするなら、「人に優しくなれたこと」と、「自分に甘くなれたこと」に尽きる。

病気になって学ぶこともあるんだよね、皮肉だけどさ。

何事も経験だと思うよ本当に。

いや病気なんかならないに越したことないんだけどね。

 

ていうか、自己紹介に書けるスペックが最悪過ぎるんだよね!

精神障害だしギャンブル依存症だし自己破産してるし、自慢できることが何一つないよ!

もう挽回してくしかないよね。

これからに期待しよう。

 

こんなんだけど、環境というか周りの人たちには恵まれてる。

あ、それは自慢かもしれない。

皆見捨てないで支えてくれる。

だから生きてるのかもしれない。

 

絶望したって諦めなきゃいいだけの話なんだなあ生きるっていうのは。

ただ幸せになるっていうのは努力が必要な気がするから難しいよね。

幸せって、考えるに満足感だと思う。

自分の生き方に満足出来れば、幸せに感じる気がする。

とにかく縁側でタバコ吸えれば毎日幸せな気がするから頑張ろ。

 

頭の中見せて下さい

 

みんな何を考えて生きているんだろう。

 

お金のこと、仕事のこと、好きな人のこと、夕飯のこと、もっと先の未来のこと。

色々あるけれど、その時々で変わるものだろうけど、何かあるじゃないですか。

いつも頭の片隅にあることって。

人が何を考えてるかなんて見えないから気になってしまう。

一番大事なものとかこととか。

信条とか。

 

私はわりと色んなものに興味がなくて、趣味も少なくて、常日頃考えてることも人より少ないんじゃないかなあと思う。

今現在、仕事をしてるわけでもないし、家事もしてないし、本当に考えてることと言えばくろさんのことくらい。

あとはブログで書いてるようなこと。

まあ大したこと考えて生きてない。

 

だからこそ、人が何を考えてるか知りたくなる。

ちゃんと目標持って、自己コントロールして生活してる人とかね、すごいなって思う。

私には出来ないなあと尊敬する。

 

アンケートとりたいくらい。

何を考えて生きてますか?って。

Twitterでも、ブログのコメント欄でも何でもいいので是非皆様教えて下さい。

お気軽に反応頂けると幸いです。

メンタル弱い人の訓練

「愛してる、なんて言わなくても分かるだろ!」

って男性は思いがちだって言いますよね。

逆に女性は、

「言ってくれなきゃ分かんないよ!」

って感じるらしいと。

 

メンタル弱い人はまさに、「言ってくれなきゃ分かんないよ!」って周りに思われてると思う。

 

発達障害の人にとって大事なのは、訓練だと聞いたことがある。

自分は何ができて、何が苦手なのかを、例えば家族だったり職場だったりに申告して、「今こういう状態で、こっちもやるのは難しいです」とか、その場その場で言えるようになるのが理想らしい。

精神疾患持ちも多分同じで、「今気分が落ち込んでいるので無理です、出来ません」とか、「これで悩んでて辛くてどうしたらいいのか分かりません」とか、単純に「助けて下さい」とか、誰かに伝えることで、自分を助けることになると思う。

一人で抱え込むのはやっぱり一番よくない。

 

そういう癖付けをしていかなきゃ、調子を崩したときにきっとまたどん底見るんだよ。

落ちるとこまで落ちたら、戻ってくるのにすごく時間がかかる。

 

だからメンタル弱い人は、言葉にすることを覚えなきゃいけない。

それでも幸せに生きる

誰だって幸せになりたいし、人に愛されたいし、毎日笑って過ごしたい筈なんだ。

 

だったら幸せに感じることをやればいいじゃない。

人を愛して、愛される努力をしたらいいじゃない。

毎日1回でも本気の笑顔を作ってみたらいいじゃない。

 

私は難しいこと考え過ぎているんだ。

生きたいように生きればいいんだし、好きな人の傍にいればいいんだし、楽しいこととか目標だけ見てればいい。

 

寂しくて当たり前なんだ。

だってくろさんと一緒にいれないんだもの。

憂鬱で当たり前なんだ。

好きなときにやりたいことができないんだもの。

 

前向きに考えようとしてもじりじり不安は襲ってくるけど、私は幸せになるために生まれてきたんだから大丈夫。

 

誰しも幸せになるために、自由になるために生まれてきたんだ。

 

だから大丈夫。

私にはくろさんがいるし。

恐いことなんて、何もないよ。

 

弱さと共に生きるのか

この手を伸ばした先に誰かの胸があれば、躊躇なく飛び込むのに。

 

そんな憂鬱な、どうしようもない虚しさを抱えながら過ごしている今日という日。

私が弱いのは今に始まったことじゃないから、孤独感と仲良しになるのは自分だって慣れっこのはずなのに、いつ何時襲ってきてもその辛さは無視できない。

もう愛人みたいなものだよ。

いきなりやってきて、そのどす黒い闇に抱き締められて、「愛してるよ」って優しく囁かれて、中々その腕の中から抜け出せないんだ。

この関係はいつまで続くんですか?と、尋ねることができるなら尋ねたい。

 

正直、双極性感情障害が原因でこの感情の浮き沈みがあるのか、元々の性格からなのか、もう分からないというのが本音だったりする。

結婚して幸せなのに、もし旦那がいなくなったらとか、そんな不幸せなことも頭をかするんだ。

いつもそう、幸せの裏側を考える。

よく言う幸せ過ぎると不安になるってやつである。

対処方法は知らない。

簡単に払拭できる不安ならもうすでにしているだろうし。

 

どうなのだろう。

健常な人は、幸せを「幸せ!」って手放しで喜べるんだろうか。

夜中にふと寂しさに押し潰されそうになったりしないのだろうか。

自分の存在価値がいきなり揺らいだりしないのだろうか。

 

生きてれば何かしらの出来事が常に降り注いでいて、その感じ方って人の数だけあるのだろうけど、私はいつでも最悪を想像してしまうよ。

だからわりと生きるのが辛いと感じるんだ。

人と痛みの程度は比べられないけど、こんな痛みを抱えながらみんな生きていて、社会生活を送っているなら賞賛する。尊敬する。

 

この弱さと共に、私は死ぬまで生きていくのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

寂しさと不安を消す方法って何だろう

朝から精神的にぐらぐらしている。

 

朝から、というより昨晩からかな。

くろさん、私がSNSやってるの心配みたいで、わりと好き勝手書いてるからだろうけど、「あー要らないことで心配かけてたんだなー」と思い始めたら何か申し訳なくなってきて、でも暇潰しには丁度よくてやってて、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。

 

そしたら今朝、不安感が強くなって、勝手に涙がでるようになって、やっぱり入院生活やだなーって思い始めて、何か落ちてる。

 

孤独感がね、ひどくて。

文章書きまくって発散してたところもあるんだけど、やっぱり寂しいもんは寂しいよね。

お願いだから傍にいてくれよ。

 

頑張らなきゃいけないのにまた挫ける。

くそーまじ弱いなー。

埋めなきゃ、埋めなきゃ。

どうにかしなきゃ。

 

自称ならエッセイストとか名乗ってもいいの?

昔から作家になりたかった。

当時から、妄想や創作が好きだったから。

物語を書くのは非常に根気がいることだと分かったので学生時代でやめてしまったけれど、ポエムは最近まで日記に書き散らしていた。

作家になりたいくせに飽き性という全く向いてない性格の作家志望だった。

しかし性格的に向いてない、才能もない、文章力もない、と三拍子揃っていることには早々に気付いたので、絶対作家になるんだ!という悪い気は起こさず、手厚い職業を選んだ。

仕事をしている間は作家になりたかったことなど、一片も思い出さなかったので、本当に目指していたのか謎なくらいである。

しかし、精神障害を患い休職し始めると、あら不思議、再び作家になりたい熱が沸き上がってきたのである。

しかし今度は物語を書こうなんて思いもしなかった。勿論ポエムも。

何故ならエッセイを書きたくなったのである。

自分の病気のこと、生活のこと、生きざまのこと。ネタに溢れていると思った。

逆境をチャンスに変えたかったのかもしれない。

 

しかしエッセイストへの道はそう甘くはないことをブログを通して知ることになる。

当時書いていたブログの読者数やPV数の伸びないこと!

私は理解した。

自分が人を惹き付けるような文章を書ける人間ではないということを。

それでも未だに燻っている、文章を書いて暮らしていきたいという気持ち。

だから今でもブログを続けていたりする。

文章力をつけるには書くしかないらしいので。

 

ちなみに私は形から入るタイプなので、もし万が一にでも文字書きになろうものなら、和風な一軒家を買って普段着を和服にし、万年筆を使い始めるに違いない。

というかそれが夢だ。

 

そんな沸々とした野望を抱きつつ、今日も好きなことを好きなように書き連ねているわけである。

我ながら向上心すらないなあ。