「ミニマリスト」になりたかった
「ミニマリスト」に憧れていたことがある。
色々な方のブログを見て、少ないもので暮らすということは何と機能的で効率が良くて整然としているんだろうと感じたからだ。
当時は一人暮らしで、ミニマムとは程遠い部屋に住んでいた。
物は多いし、増やすし捨てないし、押入れの中は使わないもので溢れていた。
だからくろさんと同棲を始めるとき、あまり物を持っていかないようにしようと自分なりに分別して荷物を包んだつもりだったのだが、くろさんは私以上に荷物が少なくて驚いうたのを覚えている。
実際に暮らし始めると、足りない物や必要な物を買い足していく日々が続いた。
フライパンや鍋は2つずつ欲しいし、テレビにはテレビ台が欲しいし、服は押入れの中だけには入りきらないし、とにかく生活を便利にするために必要なものは多かった。
そして私は買い物が好きだった。
というより、「お気に入り」を沢山作るのが好きなのだった。
服でも化粧品でも「いいなあ」があると買ってしまう。だから物が増えていく。あまり物を捨てるということもしないから増える一方だ。
今のところあっちこっちに物が溢れてるようなことにはなっていないが、いつかそうなるんではないかと心配していたりする。
でも思うのだ。
自分の好きなものに囲まれていることの幸福感というのは凄まじいと。
お気に入りの服、化粧品、料理道具、家具。ミニマリストの人みたいにお気に入りを絞ることはあまり得意ではないけど、今ある物は私には全て必要な物なのだ。生活を豊かにしてくれる物なのだ。中にはあまり着てない服や、着られなくなったものもあるから断捨離はしたいなあと思うのだけれど。
そんな風に取捨選択していくこともまた楽しさなのかなあと思ったりもする。
要は今の物の量を不満には思っていない私なのであった。
理想の自分にはもうならない
どうにも思考がごちゃごちゃしている気がする。
お盆中に色んなことを経験して考えたせいなのかなあと思っているけど。
何かそういうめんどくさいというか雑然としているものを整理したいので、闇雲にキーボードを叩いている感じがする。
私は自分が思っている以上にわがままで自由を求める性格なんだと実感したりとか。
好きなときに好きなことをしたいし、好きな人と一緒にいたいし、誰かに何かを強要されるのとか囚われるとか期待されるのなんてまっぴらごめんだし、怒られるのも勝手に失望されるのも嫌だし、出来れば何でも褒められたいし、気を遣いたくないし、文句なんか言われたくないし評価されたくないし、とにかく好き放題させて頂きたい。
以上のようなことを人様に言うと恐らく批判されるだろうから声を大にしては言えないけど、これは私のブログだから何でも書くのだ。
私は優しい人間ではないし気も遣えないし我慢もできないし、とてもじゃないけど人様に尊敬されたり見本にされるような人間ではない。自分が一番良くわかってる。
もっと優しくて人当たりが良くて、誰からも可愛がられるような性格だったらなあとも思うけど、26歳までこの性格だともう絶対治らないと思う。
で、さらに言うとこんな私を周りの人たちは受け入れるべきなんだと思ってる自分もいるからタチが悪い。受け入れてくれない人は嫌いだ。「あなたが私を認めてくれないなら私もあなたを認めない」ということになってしまう。
さらにさらに言うと、受け入れてくれる人はみんな「大好き」になる。博愛主義と言われたこともあった。わりとこんな人間でも受け入れてくれる人は少なくない(と思ってる)から世界はダメな奴に優しいなあと思っていたりするのであった。
くろさんと結婚してから、「可愛くて良いお嫁さん」を理想にしてもがいていた気がする。どんな異性がタイプなんだろう、と考えたり悩んだりもした。
でもこんな私に対してくろさんは「僕の全て」と言ってくれた。私はもうくろさんとニコイチなんだ。こんなでも好きになってくれたんだ、って何かちょっと安心した。ちょっとどころかものすごく安心した。
私のこと、くろさんにはどう見えているのかは分からないけど、認めてくれているからこうやって一緒にいるんだ。じゃあ私変わる必要ないじゃんって開き直れたんだ。
本当に根暗で自分に甘くてどうしようもない人間だけど、もう誰かにどう思われてるのかなんて気にしなくてもいいやって思ったんだ。
私にはくろさんだけいればいいや。
他の人にはどう思われてもいい、くろさんにだけ好きでいてもらえればいいし、自分で作った理想の私なんてもうどうでもよくて、くろさんが「可愛い」「好き」って思ってくれればそれが理想だし、とにかくくろさんが幸せで私のこと好きならそれで世界はハッピーなんだ。
理想の自分とか考えて、程遠い自分に絶望することもあったけど、もうしなくていいんだっと思うと安心する。誰かに好きって言ってもらえるってそういう事なんだ。
だから好きっていう言葉はすごいんだ。
すごいんだぞ。
そのおなかを触りたい病
忙しいお盆だった。
私の実家に1泊、くろさんの実家に2泊、再び私の実家に1泊、と自宅にいないお盆になった。
くろさんの方の実家は本家だから沢山親戚の人たちが訪れて、お墓参りの後から食べたり飲んだりを夕方まで繰り返した。豪華なオードブルとビール三昧にお腹がパンパンになったり、片付けを手伝ったり、お酌をして回ったり。普通のことなのかもしれないけどお盆をちゃんとやってこなかった私には新鮮であり、大人の世界って大変なんだなあとしみじみ思ったりした。
そして改めて実感するである。
自分の実家というものの居心地の良さを。
母が何でもしてくれるし、私に手伝うことを強要しないし、話す内容や言葉遣いに注意したり、タバコを吸うことを制限されたりもしない。
本当に実家は天国だと思うのである。高校を卒業してから一人暮らしをし始めた身なので一人の気楽さも理解している。しかし、身の周りのことを全てやったもらえる楽さはやはり実家ならではの良さがある。
結婚して、くろさんの実家も恐らく「私のもう一つの実家」のような位置づけになるのだろうけど、「本物の実家」とは全然違うなあと感じてしまう私である。
どちらも大切な場所に違いはないのだけど、自分の生まれ育ったところはやはり格別なのだった。
そんなこんなで忙しく過ごしていた為、ブログが弄れなくて欲求不満気味だ。
くろさんとも二人でいちゃいちゃできなくて、そういう意味でも欲求不満気味だ。
やっと自宅に帰ってやりたいことをやれるようになって正直嬉しい。
どんなに楽しく充実した日々を過ごしているつもりでも、自分の時間とくろさんと二人きりの時間がないと落ち着かないのである。
今日はお盆の疲れを全力で癒したいと思う。
こんな雨の日だけど「月がきれいですね」
大泣きしてしまった。
今日は実家に帰って来ていて、安心して、楽しくて、飲みすぎてしまったんだと思う。
くろさんが眠る前に言った。
私を抱き締めながら。
「君は僕の全てだ」
彼は現実主義者で、ロマンチックなことはあまり言わない。嘘も言わない。そして恥ずかしがり屋だ。
だからこの言葉は大変勇気が要ったはずで、彼の心からの気持ちなんだと信じることが出来た。
だから、私は泣いた。大泣きだ。
幸せ過ぎてこんなに泣くのは今まで生きてきて初めてだった。
誰かに会いたい人生だった。
誰かを探している人生だった。
誰なのか分からないけれど、必死で「誰か」と巡り会いたかった。
私は、やっと見つけた。
嬉しくて、幸せで、愛しくて、言葉が出なくて、迷子の子供がお母さんを見つけて安心して泣くように、ただただ涙を流した。
泣く私を力一杯抱き締めてくれる温かい腕が好きだ。
「今死んでも何の悔いはない」と言う私に、「それは困る」と返す優しい声が好きだ。
その笑顔も泣き顔も、全部全部大好きだ。
くろさんはもう寝ちゃったけど、私伝えられなかったことがあります。
明日必ず言うよ。
「あなたは私の全てです」
近くで見ても遠くでも見ても花火はきれい
ドン、ドンと音がして、「花火じゃない?」とくろさん。
先程買い物に行った時、街中で浴衣の人たちを見かけて「今日花火なんじゃない?」と言っていたのを思い出した。
市内だけど、家からは離れた場所で開催されている花火大会。
「見えるかな?」と言ったら「いやー見えないでしょ」と笑われた。それでも一応、とベランダに出てみる諦めの悪い私である。
ドン、ドン、の音は続いている。音のする方に目を凝らす。
建物と建物の間で小さいながらしっかりとした光が見えた!
「花火見えるよ!おいでおいで!」急いでくろさんを呼ぶ。「うそお!?」と言って一先キッチンの換気扇の下でタバコを吸い始めるのを、「ベランダで見ながら吸えばいいじゃん!」と急かす。
二人でベランダの隅に立つ。
花火が上がっていくのまで見える!遠いけどわりとはっきり見える!
暫く上がっては弾ける花火を二人でビール片手に眺めた。
そして、くろさんが話し始めたのだった。
くろ「音の伝わる速さはどのくらいでしょう?」
めろ「え、分かんない」
くろ「正解は秒速300mくらいでした」
めろ「えー結構遅いんだね」
くろ「じゃあ光の伝わる早さはどれくらいしょう?」
めろ「何億光年くらい?」
くろ「んーと、0が8コくらい」
めろ「へー!」
くろ「だから音の方が遅れて聞こえるんだよ」
めろ「そうなんだー、全然違うね!」
くろ「ここから花火まで1.2Kmくらいかなあ」
めろ「えーもっとあるんじゃない?」
くろ「そうかな?直線距離だよ」
めろ「もっとあるよー多分。何で?」
くろ「花火が見えてから音が聞こえるまで4秒くらいだから」
めろ「え、数えてたの!?」
くろ「うん、大体ね」
めろ「へー!すごい!」
こうして私の学のなさが露呈していく夏の夜。
一緒にいても、同じところで同じ花火を見ていても、考えることは全く違うのだなあと思うと、やっぱり二人でいられてよかったと思うのです。二人でいることで意味があるのだなあと思うのです。
私がくろさんに教えてあげられることはきっと多くないのだろうけど、私がベランダに出なければ今日くろさんは花火を見なかったかもしれないし、私はくろさんに教えてもらわなければ音と光の速さについて考えなかった。
こうやっていつまでも二人で無いものを補っていきたいと思うのだ。
「花火って夏って感じでいいよね。あと浴衣」
じゃあ今年はどっちも見れてよかったね、と言ってあげたくなっためろなのであった。
白の清潔感
昨日から散々言ってたお盆に着て行きたいワンピース。
やっと購入できた。画像のものだが見ての通りワンピースではない。白地の丈の長い可愛いワンピースもあったのだが、「これっきりしか着ない感」が半端なかったやめてしまったのだった。
この白のトップス、下にいつも穿いている黒のロングスカートでも合うと思うし、ネイビーの膝丈スカートでも可愛いと思うのだ。使い回せそうだし、バーゲンで値引きされていたので安く買うことができて大変満足である。
逆光で透け透けみたいに見えるが、生地がわりとしっかりしているので着てみるとあまり透けない。安心である。
そういえば最近気に入って買うトップスが白ばかりだ。逆にスカートやパンツは黒が多い。服自体は変わっても色合いは変わらない私である。
白のトップスは男子が着ても女子が着ても間違いないと思っている。「清潔感」と言っえば真っ白が一番表しやすいだろう。
なのでデートには白を取り入れることをオススメします。
眠い…。
男子のここにキュンキュンする話3
昨晩夜更しをして4時頃に寝たのに7時半に目が覚めるという夏休み中の小学生か!と思うようなことをしてしまった私です。くろさんの方が早く起きてドラクエ始めてました。休みの日くらいゆっくりして下さい。朝っぱらからブログ書いてる私も大概だけど。
朝からきゅんとした。
朝ごはんを食べ、換気扇の下で一服していた私。
ふと足元を見ると爪先の方だけ日に焼けて黒くなっているような気がする!今年はあんまり日焼け止めも塗ってなかったからなあと思いながら眺めていた。すると後ろからゲームをやってたくろさんが来て「どうしたの?」と言う。「足見てた。日焼けしたなあと思って」と返すとそのまま通り過ぎトイレに行ったのだった。
何がきゅんなのかお分かり頂けたであろうか。
「どうしたの?」である。「どう」したのか気になって掛ける言葉である。くろさんは一人でタバコを吸いながら俯いている私を見て、「どう」したのか気になったのである。本人はただ足を見ていただけでも、くろさんから見れば「どう」かしているように見えたのだ。この気にかけてもらってる感じに私はきゅんとしてしまった。
「どうしたの?」は魔法の言葉だ。女子をお姫様に変身させてくれる。
こうして朝から私はお姫様に変身し、嬉しい気持ちになったのでした。